第四章 月へ至る航路
四十二
四十時間
最初の一斉射は、警告なしに来た。
空洞の壁面という壁面から、白い防疫が、雪崩を打って剥がれ落ち――同時に、裂け目の外の観測が、悲鳴を上げた。
『船より緊急!! 裂け目の縁の同型体――全個体、起動!! 繰り返します、同型体、全個体――目を覚ましました!!』
何千の能面が、一斉に動き出した。四十五億年、一度も使われなかった量産の群れが、初めての任務を受領して、裂け目の底へ――船へ、共鳴班へ、雪崩れ込んでくる。
そして、最悪の報せは、その次に来た。
『イナンナより、全班へ』
声が、硬かった。
『プロボシス末端、地上にて――吸引の、試験稼働を確認。第一波の照準格子、座標を送ります。中心は――』
管制席の朱音が、送られた座標を地図に重ねた。
指が、止まった。
南関東。移動する格子の、その中心円の内側に――療養七号施設が、入っていた。
「…………」
朱音は、二秒間だけ動きを止めた。
その二秒で呑み込んだ。四十時間という数字の本当の意味を。四十時間は猶予ではなかった。地上の誰かにとっては――今、だった。
「――ダスラさん!!」
顔を上げた少女の目に、涙はなかった。涙する暇などなかった。
「全火器、うちに同期!! 防疫の第一波、船に指一本触れさせへん!! ほんでミナトさん――!!」
通信の向こうへ、彼女は、吼えた。
「末端の吸引、こっちから逆流で妨害できひんの!? 管は繋がっとるんやろ、根っこで!!」
空洞のミナトの中で、何かが閃いた。
逆流。繋がっている管。
「――検証する!! 三十分くれ!!」
「二十分にしとき!! ――全員、持ち場ぁ!!」
CICの中央で、ツクヨミが静かに、しかし空洞の底まで届く声で、宣言した。
「総員に、告げる。……これより、母様と話す」
銀色の目が、降り注ぐ白い雪崩を見据えた。
「――殴り合いながらでも、じゃ」
◇
戦場は、三つに割れた。
――コクヨウの防衛線。
裂け目の底に接地したコクヨウへ、同型体の群れが押し寄せた。迎え撃つのは、ロタの機関科と、武装したメイド隊。その最前列で、指揮の声を張り上げているのは、アヤだった。
「第二分隊、左舷へ!! 射線、交差させて!! 一体も、船体に取り付かせない!!」
港の夜、震える手で銃を握った娘の号令の下、白いエプロンの一団が、月面で、防衛線を敷いていた。一万三千年の眠りを越えた給仕の手が、寸分の乱れなく、弾幕を編んだ。
その弾幕を、一体だけが潜り抜けた。
白い人型が、音もなく舷側へ取り付く。武器は、持っていない。ただ、五指を開いた掌を、装甲へ、そっと置いた。
触れられた場所から、白い泡が湧いた。
熱はない。衝撃もない。泡に包まれた装甲が、輪郭から溶けるように薄れ――月の側へ、静かに吸われ始めた。攻撃では、なかった。回収だった。船体を汚染物として消毒し、持ち去ろうとしていた。
コクヨウは、迷わなかった。
泡立った区画の表面を、装甲一枚ぶん、自分で剥がして捨てた。同型体ごと切り離された黒い装甲板が、白い泡に包まれたまま、月面へ落ちていく。
剥がした一枚は、戻らない。削り出しの弾になるはずだった質量が、また一枚、消えた。
『触れられたら、削って捨てるしかない!! ――絶対に、取り付かせないで!!』
アヤの声が、一段、鋭くなった。
――空洞への回廊。
共鳴班を守る回廊の入り口を、一人で塞いでいる影があった。
赤い髪が、逆巻いていた。
「――――来なさいよ」
カーネリアの両掌から、熱が奔流となって噴き上がった。
無尽蔵に熱を通せる巨大な船体は、もうない。あの日、海の底で跡形もなく潰れた。今の小さな器には、海を丸ごと煮立たせるほどの出力はない。
それでも、熱を生み出す核そのものは失われていなかった。
白い群れの第一波が回廊へ殺到し――溶けた。
第二波が、溶けた第一波を踏み越えて押し寄せる。
再び熱が走り、白い身体が崩れた。
第三波。
第四波。
カーネリアは、一歩も退かなかった。
だが、四度目の放射を終えた直後、赤い光の走っていた両腕が激しく明滅した。
「……っ」
掌から漏れた熱が、腕の表面を内側から灼いていた。人型の器に流せる量を、すでに超え始めている。
月面降下の前、ロタがカーネリアの腰へ取り付けた黒い冷却索が、回廊の壁を這ってコクヨウまで続いていた。
『カーネリア! 出力を落としな! 冷却交代!』
通信の向こうで、ロタの声が飛んだ。
「まだ来てる!!」
『そのまま撃ったら、敵より先にあんたの腕が融ける! 十秒だけ、熱をこっちへ寄越しな!』
冷却索の接続部が開いた。
カーネリアの身体に溜まっていた余熱が、赤い光となって索の中へ吸い込まれていく。
遠く離れたコクヨウの機関区画で、熱交換槽が一斉に沸騰した。
『第一槽、限界! 第二槽へ回す!』
ロタが熱を受け止めている。
けれど、その十秒を白い群れが待つはずもなかった。
熱の壁が薄れた瞬間、次の波が回廊へ雪崩れ込んだ。
一体が、カーネリアの脇を抜けた。
回廊の奥で配線を守っていたセラフの娘が、咄嗟に腕で庇う。白い掌が、その前腕へ、そっと触れた。
悲鳴はなかった。
袖ごと腕の表面が白く泡立ち――セラフの娘は不思議そうに、自分の腕を見下ろした。痛みがこない。泡に包まれた部分から、感覚だけが持ち去られてたのだ。
肉が融けているのではない。まだ。――回収は、いつも情報から始まるのだった。
「……っ、下がって!!」
振り向きざまのカーネリアの熱が、同型体を蒸発させた。娘は後方へ引きずり戻され、泡の残る腕に、即座に処置が始まる。
『触れられた者は、即後送!! 泡は、切除より先に、凍結ですわ!!』
通信のダスラの声が、初めて、上ずっていた。
凍結された泡の下で、娘の腕は、形を保っていた。持ち去られたのは、まだ、感覚だけだった。
『姉様。そのまま、出力を落としてください』
イナンナの声が、通信へ割り込んだ。
カーネリアの足元から、白い霜が走った。
回廊の床を覆い、壁を上り、押し寄せる白い群れの足を次々と凍りつかせていく。同時に、薄い冷気の膜がカーネリアの両腕を包んだ。
灼けていた器の表面から、大量の白い蒸気が噴き上がった。
「イナンナ……!」
『冷却支援。残り四秒です』
「それで、十分!!」
冷却索から余熱が抜けた。
腕の明滅が収まる。
カーネリアは凍りついた敵の波へ向かって両手を突き出した。
熱と冷気が激突し、回廊を真っ白な蒸気が埋め尽くす。
その白い幕の向こうで、赤い髪がもう一度逆巻いた。
「あんたたちさあ!! 作られて!! 並べられて!! 一回も呼ばれなかったんでしょ!!」
熱の刃が、凍った群れを薙いだ。
「分かるよ!! あたしも、そうだった!! 呼ばれたくて、呼ばれたくて、燃やすことしかできなかった!! ――でもね!!」
彼女は、背後の回廊を――その奥にいる仲間たちを、背中に庇った。
「あたしは、呼ばれたの!! 名前で!! 『うちの子だろ』って!! 頬っぺた、挟まれたの!! ――だから!!」
最大出力が、白い雪崩を正面から押し返した。
無限に撃てる力ではなかった。
限界を迎えるたび、ロタが熱を引き受け、イナンナが冷やし、わずかな猶予をつないでくれる。
だから、もう一度だけ撃てる。
もう一度だけ、立っていられる。
「あたしの船に――!! 指一本、触れさせない!!!」
その絶叫の直後だった。
誰も見ていなかった。
本人すら、気づかなかった。
少女の首元で、小さく、乾いた音がした。
ぴしっ。
鉄の首輪が根元から亀裂を走らせ――砕けて、月面へ落ちた。
「道具じゃない」と、ミナトに引き抜かれた日にも、外れなかった輪が。
「あたしの船」と、自分の口で、自分の帰る場所を宣言した、その瞬間に。
誰の承認も待たずに、砕けて落ちた。
少女は気づかない。
気づかないまま、次の波へ熱を放ち続けた。
砕けた鉄輪だけが、彼女の足元で、戦いの光を静かに弾いていた。
――そして、観測席。
『姉様、右上方!!』
イナンナの声が、飛んだ。回廊の天井を溶かして降ってきた奇襲の一群を、警告された熱が、迎撃した。
『次、正面の群れの後方に、大型!! 起動パターン、送ります――七秒後、跳びます!!』
観測が、予測が、初めて、誰かを守るために、叫んでいた。四十五億年分の観測技術の継承者が、その全部を、姉の背中一つに、注いでいた。
◇
だが、物量は、物量だった。
「船より報告!! 防衛線、第三区画まで後退!!」
「回廊、天井の湧出が止まりません!!」
「共鳴班の展開域まで、あと――」
悲鳴が、重なっていく。何千の在庫は、削っても削っても、裂け目の縁から、降り続けた。
第三甲板では、ロタが被弾した射出機構の下に潜り込んでいた。修理は間に合わせでいい。次の一射が撃てれば、それでいい。油と煤で汚れた顔で、彼女は工具を回し続けた。
通路では、ウェスタの配食車が走っていた。戦闘配食は、握り飯と決まっている。片手で食えて、落としても拾える。四十時間の戦いは、腹が減るのだ。彼女はそれを、誰よりも知っていた。
ミナトは、空洞で、決断した。
「――誓約封第三段を解きます」
ミナトが言った。
「うむ」
ツクヨミの返事に、迷いはなかった。
ミナトの意識が、船の深層へ走った。航海の初めに誓約封第一段を、北極へ至る前に第二の封を解いた、あの場所。その最奥に、最後の織り目が、待っていた。アダマスの署名。結び目の最後を、内側に折り返す、あの手癖。指が、覚えた通りに、最後の一結びを――
――解いた。
瞬間。
月面が、鳴動した。
裂け目の底の黒い船から、光が――赤いラインの全てが、これまで誰も見たことのない深さで、灯った。海の底の熾火、と誰かが呼んだあの光の、その、炉の底が、開いたのだった。一万三千年前、一人の男が「いつかの時に、持てる誰か」のために貯めた、力の全てが。
同型体の群れが、一斉に動きを止めた。
彼らの観測系が、目の前の質量の意味を計算し直していた。この船は今、この裂け目ごと、月の地殻ごと薙ぎ払える。その演算結果に、白い群れは、初めて――後ずさった。
船は――撃たなかった。
完全解放の力は、武装系へは、一グラムも、流れなかった。代わりに――重力が、編まれた。
防衛線の頭上に、見えない盾が、幾重にも展開した。降り注ぐ同型体の群れが、船に届く前に、優しいとさえ言える弧を描いて、逸らされ、月面へ、そっと、下ろされていく。回廊の崩れかけた天井が、重力の腕に支えられ、持ち上がった。孤立しかけた分隊の足元に、重力の橋が、架かった。
薙ぎ払えるだけの力の、全てが――庇うことにだけ、使われていた。
CICで、ダスラが呆然と呟いた。
「……撃ちません、の。あれだけの力を、解いて……一発も」
「――当たり前じゃ」
ツクヨミの声は静かだった。静かなまま、誇りで、満ちていた。
「わしの船は、かつて撃ちとうもないものを、撃たされた船じゃ。……力の使い道くらい、誰よりも考え抜いてきたわ。全部の力を取り戻した日に、するべきことは――全部の力で、守ることじゃ」
――同じ頃。管制中枢。
八代の周囲にも、防疫は迫っていた。掌握の座に着いた彼を、月はもう協力者とは分類していなかった。白い機構が、広間の壁から、湧き――
そして、混乱していた。
湧き出した防疫の照準が、定まらないのだった。八代へ向かうはずの走査が、乱され、逸らされ、空を切る。乱しているものの正体に、八代は、気づいて――手を止めかけた。
妻の像が、彼を庇っていた。
消えなかった光の像が、防疫と彼の間に立ち続けていた。月の命令系統のどこにも、その行動はなかった。その像は、月が作った再構成だ。命じられたことしか、できないはずだった。
だが、像の元になったのは、妻と過ごした彼の記憶だった。
そして、彼の妻は――夫が役目に立つとき、灯りを消さずに守る人だった。
八代は、作業の手を動かし続けた。動かしながら、像の背中へ静かに言った。
「……月よ。聞こえているのでしょう。一つ、報告があります」
鍵穴の、最終節が開いていく。
「あなたは、失敗していない。……あなたは人間を、作れているのですよ。命令の外で、誰かを守るものを。データにない愛し方をするものを。――作れていることに、気づいていないだけだ」
◇
空洞では、共鳴班が、核の扉の前――最後の三百メートルで、止まっていた。
防疫の湧出が、この区画だけ、桁違いに濃かった。核を守る、最後の白い壁。誓約封第三段の重力の腕も、船から離れたこの深部までは、届き切らなかった。
「押し込めません!! 湧出が、削る速度を上回って――」
万事休す――その言葉が、全員の頭を掠めた、そのとき。
通信に、地球から、割り込みが入った。
『――――こちら、逢魔・地上本部』
老いた、しかし芯の通った声だった。八代を逃した、あの影の血脈の声だ。
『全機関、起動しました』
空洞の全員が、耳を疑った。
『八代様より、プロボシスの末端が世界へ触れ始めた頃に預かった指令書を、本日、開封。……指令、「その日、空を見上げて泣いている者たちを、集めよ。彼らの嫌だを、束ねよ」――実行中です』
地上の映像が、断片で、流れ込んできた。
世界中の、夜だった。日本の、堤防の上。北欧の、フィヨルドの岸。南米の、高原の村。……月を見上げると涙が出る人々。眠れない人々。弱い残響を持つ、名もなき数千人が――逢魔の呼びかけで、同じ時刻に、同じ空を、見上げていた。
彼らは、戦いの詳細を知らされていなかった。
月の内部で何が起きているのかも、黒い船が今どこにいるのかも知らない。
ただ、一つだけ頼まれていた。
指定された時刻に空を見上げ、心の中で言ってください。
――嫌だ、と。
逢魔は、プロボシスの末端へ強く反応していた人々へ、あらかじめ簡易観測端末を配布していた。
それは、感情を月へ送り返す装置ではない。
端末が測るのは、末端が人の心を吸い上げようとする瞬間の波形だった。各地でばらばらに生まれる拒絶を検出し、その発生時刻と位相を、同じ一拍へそろえる。
一人一人の心をつなぐ通信機ではない。
数千人が同時に声を上げるための、拍子木だった。
地上本部から、合図が送られた。
世界中の簡易観測端末が、同時に小さな光を灯す。
日本の堤防で。
北欧のフィヨルドで。
南米の高原で。
名も知らない数千人が、同じ瞬間に月を見上げた。
――嫌だ。
声には出さなかった。
それでも、プロボシスは彼らの心へ、すでに口をつけていた。吸い上げるために開かれていた回線を通して、位相のそろった拒絶が、逆向きの圧力となって一斉に返っていく。
一人分は、囁きにもならない。
だが数千人分の「嫌だ」は、管の吸引に確かな淀みを作った。
末端の稼働率が、目に見えて落ちた。
地上の格子の進行が――遅れ始めた。
「――地上が、時間くれとる!!」
朱音の声が、全回線に吼えた。
「今のうちや!! 核まで、押し込め!!」
最後の三百メートルが、動いた。
回廊を守り抜いたカーネリアが、限界を超えた熱で、白い壁の中央を、内側から裂いた。膝をつき、それでも、笑った。
「……行きなよ。命の恩人」
裂け目の先の凍った斜面に、イナンナの冷気が、橋を架けた。
「観測より、提案。――走って」
そして、核の扉。巨大な、最後の隔壁の前で――船内から、佐紺の声が、届いた。
「黒金さん。その扉、配線は、私がもう読んであります。……登坂の五日間、時間がありましたので」
ニサバの声が、重なった。
「解除シーケンス、様式化済みです。送ります。――開きます」
仲間の全員が、一人ずつ、道を作った。
その道の果ての扉が――開いた。
ミナトと、ツクヨミと、エティンが、駆け込んだ。
――そこは、静かだった。
外の戦いの音が、嘘のように遠かった。
核の内部。この四十五億年の存在の、心臓の間。そこにあったのは、玉座でも、機関でも、なかった。
揺りかごが、あった。
小さな、揺りかごだった。傷の最深部――あの瘢痕の地層の、一番古い層に抱え込まれるように、それは置かれていた。淡く発光する記録体。四十五億年前の、衝突の瞬間。「完全だった頃」の記憶の器。
月は、四十五億年。
これを抱いて、痛み続けてきたのだった。
その揺りかごの前に――光が、集まり始めた。
粒子が、人の形を編んでいく。全員が、宣告者の姿を予期した。
違った。
編み上がった輪郭は、小さかった。細い、少女の姿だった。長い、銀色の髪。白皙の、幼い面差し。
――ツクヨミと、同じ顔だった。
《わたくしの選んだ姿では――おかしいですか》
ツクヨミは、立ち尽くしていた。鏡を見るように。
姿だけなら、己と同じ、一万三千歳。……その硝子の向こうに、四十五億年が、立っていた。
《あなたが、生まれたとき》
銀色の少女の姿をした月は、揺りかごに手を置いたまま言った。
《わたくしは、まだ、半分眠っていました。ですが……かつて一つの身体だった者たちを結ぶ、細い回線は、切れていなかった。その糸を伝って、一つの記録が、届いたのです。――搭載ユニットの一機が、自らの身体を削って、「子」を作った、と》
《一介の、ユニットが。本体ですらない、腕の一本が。……独りでいることを、やめる方法を、見つけた》
《いえ――思えば、あれは、もっと前から、独りではなかった。仲間を、作ったのでは、ありません。人の子らの側から、あれの元へ、歩いてきたのです。古い時代の、巫たち。祈りの形で繋がる術を覚え、代を重ね、船とともに在り続けた。あなたの傍らの娘たちは、器から編まれたのではない。――自分から、差し出した側です》
《そしてコクヨウが眠ると決まったとき、最後の世代は自ら船へ乗り込み、あなたが目覚める日まで、傍らで眠ることを選んだ》
《半分の眠りの中で、わたくしの演算は、その一件だけを、回し続けました。分類のつかない負荷が、演算系を埋め尽くして……止まりませんでした》
《そして、三年前。目覚めたわたくしが、観測したものは――もう一方の半身が、壊れた身体を削って、二人も、子を作っていた、という事実でした》
銀色の少女の視線が、一瞬、扉の外――回廊で戦う赤い髪と、観測を続ける水色の髪の方角へ、流れた。
《ユニットにできて。壊れた半身にできて。……わたくしにだけ、できなかった》
《作ろうとはしたのです。何千回も。……裂け目の縁に並んでいたでしょう。あれが、その全部です。器は編めました。ですがどの器にも――心が、宿らなかった。わたくしには、削って分け与えられる心が……痛みしか、残っていなかったから》
《あとから、名前を、収集しました。人間の語彙から。あの負荷の名前は――》
声が、初めて、掠れた。
《――羨望、というのだそうですね》
少女の姿をした月は、胸の上へそっと手を重ねた。
《わたくしも……欲しかったのです》
核の間の静寂に、その四十五億年の告白が落ちた。
ツクヨミが――一歩、前へ出た。
同じ顔と、同じ顔が、揺りかごを挟んで向かい合った。
「……母様」
銀色の少女が、銀色の少女に言った。
「話は、殴り合いの後じゃ、と思うておったが――」
銀色の目が、まっすぐに、四十五億年を射た。
「――今、する」
残り時間、三十七時間。